これからの生産技術者の役割【第2部】2. 生産拠点戦略(1)
1 日本の製造業の動き
国内の製造業は、1980年から多品種化対応が基本になり、1990年初期のバブル崩壊後は、コストダウン活動を活発に展開、2000年初期の不況では、工場や拠点を減らしたり、アウトソーシング化、子会社・分社化を行ってきた。2000年初期の不況を乗越えた後は、より付加価値を求める動きが強くなり、コア技術、付加価値部品、製品を日本国内で生産する傾向にある。
一方、1985年のプラザ合意後、円高解消のために日本企業は欧州、北米でも現地生産に拍車がかかった。1993年の鄧小平による改革開放路線以降、コスト戦略のために中国への工場進出を図ってきた。2000年中期から、自動車製造業、装置型企業の現地生産も盛んになってきている。またコスト戦略では、前述のとおり、BRICs、VISTAの発展途上国での現地生産も盛んになってきている。
現地生産の課題は品質と生産の安定確保である。従来は、品質確保のために多くの技術者を現地に派遣し、日本型の調整と検品で品質を確保してきた。