240 新旧の利用――旧足利模範撚糸工場跡(アンタレススポーツクラブ)
助戸から駅の方に県道67号線を戻り、通り2丁目の交差点で感動38号線を左折して南に行くと両毛線をくぐり、渡良瀬川を渡る。
さらに直進して、東武伊勢崎線「足利市」駅の下をくぐり、駅前の信号を右折して西の方向に200メートルも行くと、右に「アンタレススポーツクラブ」の看板と、石造りの建物が見える。これが、旧足利模範撚糸の工場跡だ。
1901(明治35)年、政府は富国強兵をいっそう進めるため外貨を稼ごうと、輸出の花形である絹織物の生産を奨励して、全国6か所に模範工場を開かせた。足利に誕生したのが、足利模範撚糸合資会社である。
■旧足利模範撚糸工場
政府から、資本金4万円の他に、アメリカ製の撚糸機械一式2万円が貸し下げられ、7,200坪の土地に大谷石造り木造トラス構造の平屋建てノコギリ屋根の208坪の工場が建てられた。
ノコギリ屋根の北側には採光窓がついていて、雨樋は控え壁や軒蛇腹をくりぬいて外部に見せないような工夫がなされている。
当初は石炭動力だったが、大間々発電所ができた明治40年からは電気に変わった。いわば、鳴り物入りでスタートした最先端の工場だった。
大正中頃に両野(りょうや)工業となり、第二次大戦中に機械など主要な設備が鉄材として供出されたため、戦後は絹織物工場として再建され、昭和51年まで操業した。
廃業後は、市や関係者の努力によって再生が図られ、現在は、建物を活かしたスポーツ施設として活用されている。
大谷石の外壁が街の景観にマッチして、落ち着いた雰囲気を出している。日本産業考古学会が指定する日本の近代産業遺産第2号である。
広い駐車場を持つアンタレススポーツクラブ入口。
外壁には半円アーチ付の縦長窓が連なっている。
外から見えないが、ノコギリ屋根とのジョイント部には、ほぼ等間隔に独立した柱が並び、屋根の小屋組を受けている。
2連のノコギリ屋根工場がいまでも使われている。雨樋が、くりぬいた柱の中に隠されているのが分かる。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸