236 絹-銘仙-トリコット--発展を遂げる繊維の町「足利」
足利は歴史と織物で知られた街で、群馬県との県境を挟んで、桐生市と接する。
足利の織物の歴史は古い。東大寺の大仏開眼(752年)に際して献上されたという記録があり、徒然草第216段にも足利の織物が登場する。当時すでに足利の織物がそれなりの評価を得ていたことがうかがえる。
また、足利氏発祥の地としても知られ、フランシスコ・ザビエルが「坂東の大学」と呼んだ有名な足利学校がある。足利学校は2015年4月に日本遺産に認定された。
隣接する桐生の影響を受けて機織技術を早くから導入し、織物産業を育ててきた。
足利の特徴は、桐生との差別化をめざして絹から木綿、その交織へと広げ、普段着用
織物の量産を目指したことにある。
必然的に工業化をすすめることになり、ジャガード織り機などもいち早く導入、大正時代には大型工場がいくつも作られ、屈指の織物産地に成長した。
数は少なくなってしまったが、大谷石やレンガを積んだノコギリ屋根の工場なども、独特の景観を生み出している。
そんな独特の歴史を持つ繊維の街・足利の産業遺産見学は、歴史に敬意を表して、足利氏の本拠だった鑁阿寺、最古の学校と言われる足利学校から始めてみよう。
日本最古の学校・足利学校
足利学校はJR足利駅から徒歩10分弱、東武足利駅から歩いても15分の所だ。鑁阿寺は足利学校のすぐ裏にある。車の場合は、隣接する太平記館に駐車場がある。
足利学校は、日本で最も古い学校といわれ、大正10年に国の史跡に指定されている。
だれがいつ始めたかについては、奈良、平安、鎌倉時代と諸説あるようだが、以後、学問の灯を絶やさずに、1549(天文18)年には、学徒三千人といわれ、宣教師フランシスコ・ザビエルによって、『坂東の大学』と紹介されほどに隆盛を極める。
江戸時代になると、学校としてよりも貴重な古典籍を所蔵する図書館として利用されたようだ。維新後、一部が小学校などに使われていた。
1980年に廃校になるのをきっかけに建物などの復元工事が行われ、平成2年に完成した。
入徳門、学校門、杏壇門、孔子廟、方丈、書院などがあり、よく整備されている。
周囲を堀に囲まれた足利学校。城郭のようなイメージだが、当時の防犯体制を考えれば当然の構えかもしれない。
足利学校の門。多くの秀才を集めた。ここをくぐることは大変な名誉でもあった。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸