ものづくり 日本の心

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。
発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

222 養蚕農家群――甘楽町小幡地区

 富岡から国道254号線を東に進む。上州電鉄を利用するなら、上州富岡駅から高崎に向って2駅目が上州福島駅である。
駅を出て南に数キロほど下ったところが甘楽町小幡地区。
ひなびた中にも、典雅な雰囲気が漂うこの町は、織田信長の二男信雄からつながる織田家の城下町である。
町の中を雄川から堰を作って引いた雄川堰が縦横に走り、国の名勝に指定されている「楽山園」、織田氏七代の墓のある崇福寺など、藩政時代の歴史的な建造物も残されている。

小幡地区の中心部、雄川堰に沿って植えられた桜並木が美しい一角は、流れる堰の両側に街道が走っていて、街道と直角に明治中期に建てられた養蚕農家群が並ぶ。
養蚕農家と言っても、門構えの大きな建物だ。
門の内側には、大きな家がいくつか並び、中庭を挟んで一つの屋敷群を形成しているかのようだ。
こうした門構えの構造がいくつか並んでいる。
かつては裕福な町だったのだろうことが想像される風景である。




雄川積をはさんで両側に養蚕農家群が並ぶ。優雅な気風が残る街並みで、桜並木が美しい遊歩道になっている。

■雄川堰の洗い場
雄川堰の幅はわずか2,3メートルだが、豊かな水量が流れ、あちこちに石を積んだ洗い場が設けられている。
明治中頃から40年ころまで、養蚕が盛んだった時代、41か所の洗い場があり、この水を利用して生活用具とともに養蚕器具の洗浄なども行われていたという。
蚕を飼育する竹製の「蚕かご」(1.5×0.9m)は、小規模養蚕農家でも約100枚、大規模養蚕農家は数百枚もの数を洗わなくてはならない。
最盛期には年5~6回の養蚕が行われ、この川の両岸に家々から出る洗浄量は半端ではなく、作業は大変な重労働であったという。
雄川堰があったお陰で、近くで洗浄が可能だったため、養蚕が衰退するまで、長年にわたって利用されてきた。
現在でも、日常的な農作物の食材洗い場として雄川堰は利用さている。
雄川堰のある街道は、きれいに整備されており、城下町の町屋らしい雰囲気を残したたたずまいがどこか懐かしい気持ちにさせてくれる。
豊かな水量に心も和む。
この地域は車を降りて、ぜひ散歩を楽しみたい。
お休み処「信州屋」は無料休憩所。もともと薬屋だったようだ。
きれいに改築され、2階も見られる。薬屋当時の看板もある。



雄川堰。洗い場が所々に設けられている。その間隔から、雄川堰が日常的にもよく使用されていたことがうかがわれる。


小幡地区の雄川堰に面した養蚕農家群近くにあるお休み処「信州屋」。明治時代中期の作られた古民家で2階も見られるように改造されている。
信州屋は元々は薬屋さんだったようで、その時代に扱っていた商品や薬やタバコなどの看板もたくさんあって、それを眺めるのも楽しい。

梶文彦 写真

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。

梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。

写真撮影:谷口弘幸


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