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ものづくり 日本の心

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。
発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

214 瓦職人の高い技術・応用力の勝利

 こんな大変な作業、いったい引き受け手があるのかと心配になる。
このレンガや瓦造りを担当したのが韮塚直次郎であった。なぜ韮塚直次郎が選ばれたのか、弱冠の説明が必要かもしれない。
政府の側で富岡製糸場の建設をすすめたのは、大蔵省で租税を担当していた渋沢栄一であった。
深谷出身の渋沢は、責任者としてフランス人のポール・ブリューナを選定すると同時に、初代の工場長に深谷出身で渋沢の学問の師である十歳年長の尾高惇忠を選定した。
その尾高が、富岡製糸場の建設用の資材の調達責任者(賄い方取締役)として指名したのが、同郷の韮塚直次郎だった。無理を頼める相手が他にいなかったというのが実情かも知れない。

レンガと瓦を焼くために、韮塚の郷里の深谷・明戸村の瓦職人たちが招集され、地元の職人とともに、だるま窯を作った。
それまでレンガは、反射炉を作るために下田奉行の江川太郎左衛門や水戸藩によって、さらには、長崎製鉄所を作るために長崎で焼かれたりしてはいたが、幕藩体制の下ではレンガ造りのノウハウは共有されてはいない。
そのため、ブリューナなどの指導を受けて、瓦職人たちは試行錯誤しながらレンガ造りのノウハウを身に付けていった。
専門家がよく見ると、富岡製糸場のレンガは、初期のものからだんだん経験を積んでうまくなっているのが分かるという。
レンガの接着に漆喰を改良して使用するなど、そこここに独自の工夫も生み出された。
瓦からレンガへ、短期間に未知の技を学び、吸収して、百数十年ものあいだ揺らがないレンガを作り上げる。江戸時代の職人の技の確かさを物語るものと言えるかもしれない。

笹森稲荷神社近く、窯が設けられた場所の発掘・研究が行われれば、レンガの残骸なども発見され、技術習得のプロセスも明らかにされるのではないか。
そこから、当時の日本人のものづくりに携わる思いや、新しい技術への取り組み姿勢なども明確になってくるはずである。
発掘調査を行い、産業遺産として残されることを期待したい。


1840年生まれ。一ツ橋慶喜につかえ、版籍奉還とともに新政府の大蔵省に仕官。農家出身で蚕桑に詳しかったことから富岡製糸場の計画を担当。直後に体感して、以後実業界で大きな足跡を残す。「近代日本資本主義経済の父」と呼ばれる。


1830年生まれ。富岡製糸場の初代工場長として、特に女工の地位向上、教育などにも力を入れ、官営製糸場の評価を高めた。


深谷や地元の瓦職人を束ねてレンガや瓦を製作し、また、石材の輸送などにも力を発揮した。今でいえば、優秀な現場監督という所か。


レンガの接着に、和の建材である漆喰が改良されて利用された。左官職人の工夫である。百数十年を経過してもびくともしないその堅牢さは、技術の確かさを証明している。

梶文彦 写真

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。

梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。

写真撮影:谷口弘幸


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