212 レンガ造りに見るものづくり強国職人の底力
富岡製糸場の設置で、最大の問題は建物の健在である赤レンガをどうやって作ったのかということだ。日本には、瓦はあるが、レンガはない。伝統の瓦も屋根専用である。
いまでは富岡製糸場の代名詞となっている赤レンガ倉庫。木造・漆喰建築しかなかった時代に、どうやってレンガを調達したのか。
フランス技師の、耐火のためにはレンガ造りが最適、の意見を取り入れてレンガ造りの工場を作ることに決めたが、そこで問題はレンガをどう調達するかが問題だった。
製糸用の機器はフランスから輸入するとして、まさかレンガまで輸入するわけにはいかない。量が膨大、重さがハンパなく、港からのロジスティックが大変である。
そもそも近くにレンガ用の粘土はあるのか? フランス人技師路交えて土を探してたどり着いたのが上州福島だった。
初めてレンガ造りに挑んだのは、深谷出身の伝統の瓦職人だった。
伝統的な「だるま窯」で挑んだレンガ造り・・・そこにものづくり強国に発展する日本の職人の底力がみえる。
●レンガと瓦造り――笹森稲荷神社と瓦造りの町
上州電鉄で上州富岡から高崎方向に向かって2つ目の駅が上州福島。
駅を出て南西の方向へ15分ほど、瓦工場が集積する一帯にこんもりと茂った森が見えてくる。笹森稲荷神社である。
富岡製糸場の建設にあたって、資材の調達を担当したのは、深谷で瓦造りを手掛けていた韮塚直次郎だった。
韮塚らがレンガ造りに適した粘土を探してここにたどり着き、1971(明治4)年、「だるま窯」を作り、笹森稲荷神社近くでレンガと瓦を焼いた。
富岡製糸場から直線距離にして数キロメートル。輸送にも便利な近さだった。
もともとこの地域は織田家の城下町として、江戸時代末期から武家屋敷の屋根を葺くために瓦造りが行われてきた。笹森稲荷神社はそうした瓦工場が集積した地域にあり、職人たちから火入れの儀式の神としてあがめられてきた神社だった。
そんなこともあってか、笹森稲荷神社には、富岡製糸場の完成後、韮塚直次郎が無事に終了したことを感謝して明治8年に奉納したという絵馬が伝えられている。
絵馬は、いま、近くの甘楽町歴史民俗資料館(旧甘楽社小幡組の繭倉庫)で公開・展示されている。
落ちついたたたずまいの神社のすぐ向いに、瓦の里ギャラリー「瓦窯」が見える。富岡製糸場の完成後、何人かの職人がここで瓦の製作を受け継ぎ、上州福島瓦として技術を伝承してきたが、このギャラリー「瓦窯」は、そうした福島瓦の伝統と技を伝え、瓦文化を発展させようと設置したものだ。
ギャラリーには、レンガ造りのトンネル窯の一部が保存・展示されていて、土曜日には公開されているので、トンネル窯の中を台車に乗って体験してみたい。
笹森稲荷神社。この近くで窯を造り、富岡製糸場のレンガや瓦を焼いた。
瓦の里ギャラリー「瓦窯」
トンネル窯。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸