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ものづくり 日本の心

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。
発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

208 富岡が初の官営製糸場の地に選らばれたわけ

 こんなに江戸から離れた富岡になぜこんな大きな工場を建てたのか、疑問をお持ちの方もいらっしゃるかもしれない。

富岡が官営製糸場の建設地に選ばれたのにはいくつかの理由がある。
 ●上州・信越地方には養蚕農家が多くあり良質の繭が集めやすい
 ●蒸気機関を使うために燃料が必要だが、近くの高崎で石炭が産出されていた
 ●前を流れる鏑川から良質の水が得られた
などに加えてもう一つ、
 ●製糸場を建設するための広大な用地が用意されていた
ことも大きな要因になっている。つまり、整地の必要がなかったのだ。

 製糸場の立地を巡って、ポール・ブリューナら関係者が信州、上州などを視察して回っている。
その際に、この地にスペースがあることがわかり、ここが建設地として選ばれた。
工場を早く作りたい国としても、これから新田開発(整地)をしていたのでは間に合わないという事情もあったと想像される。

もともとこの土地、江戸初期に代官だった中野七蔵が、南牧・砥沢で採掘されていた上野砥石の輸送のための中継地・在庫調整地、代官陣屋として新田開発(整地)をしたところであった。
しかし、人事異動により中野代官が他へ転出してしまったために、建屋は着工されることなく、予定地のみが周辺住民の入会地として残されていたのである。

江戸時代を通じて、刀剣を加工するために砥石は欠かせない。
南牧で採掘された砥石は、倉賀野まで荷駄で運ばれ、そこから水運で江戸に運ばれた。
南牧・砥沢と倉賀野までの輸送の中継デポとして富岡の地が選ばれていたところに、明治3年、官営の富岡製糸場が建設されることになったのである。


南牧村砥沢で敏氏に採石が行われていたころに様子。戦後もしばらく砥石の採集が行われていたが今はほとんど採集されていない。


江戸時代、南牧村砥沢は幕府直轄の地として砥石を算出していた。(南牧村民族資料館)


首長のポール・ブリューナ夫妻が住居として利用していたブリューナ館。地下室には、煉瓦造りのワインセラーがある。明治9年にブリューナがフランスに帰国してからは、工女たちへの講習室などに改造され、利用された。
  

梶文彦 写真

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。

梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。

写真撮影:谷口弘幸


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