203 富岡製糸場をめぐる絹繊維産業のながれ
(1) 富岡製糸場――近代化を急いだ日本のものづくりの模範工場
時代を超えたスケールと、その作りの見事さ、フランス式を採用しながら、日本に合わせた独自の工夫の数々。
隅々まで細やかな神経が注がれた設計・施工は、140年を経た現代でも十分に使えるほどの質の高さを誇っている。
ものづくり強国日本を積む端緒となった工場のみごとさを見てみよう。
(2)富岡製糸場の赤煉瓦――煉瓦造りに見るものづくり強国職人の底力
富岡製糸場の代名詞となっている赤煉瓦倉庫。木造・漆喰建築しかなかった時代に、どうやって煉瓦を調達したのか。土を探してたどり着いたのが上州福島。
初めて煉瓦造りに挑んだのは伝統の瓦職人だった。伝統的な「だるま窯」で挑んだ煉瓦造りにものづくり強国に発展する技術の底力がみえる。
(3)荒船風穴と西上州の養蚕――かぶらの里は近代産業発祥の宝庫(011-)
富岡のある西上州はもともと、養蚕業の盛んな地域だ。富岡市、下仁田町、南牧村、甘楽町をかぶらの里と呼んでいることからも分かるように、この地域は、鏑(かぶら)川の流域に広がる地域である。
絹産業というだけでなく、近代産業の発祥の地という点でも、興味深い地域である。周辺地域の産業遺産をご紹介しよう。
(4)田島弥平旧宅と高山社跡――養蚕技術改善と生産性向上への試み()
旧田島弥平宅と高山社跡は2014年6月にユネスコに登録された富岡製糸場と絹産業遺産群の中の2つの遺産である。
生糸は繭から作り出される。いかに良質の繭を効率よく作るかは、絹繊維産業の成否を決める基本的な課題だ。
幕末から明治にかけて、蚕種の育成と養蚕の技術は飛躍的に向上したが、それらの開発に貢献したのが田島弥平と高山長五郎だった。
(5) 桐生のノコギリ屋根と織物工場――糸から繊維産業への発展()
徳川家康の直轄領だったこともあり、早くから京都西陣の機織り技術を導入してきた桐生。絹市が開かれるなど織物業が成長し、明治維新とともに新しい機械なども導入されて繁栄する。
昔のままの木造三角屋根の工場から近代的に改装されたモダン店舗まで、ノコギリ屋根が街のシンボルとなっている。
(6) 足利の赤煉瓦・石造り織物工場――絹から木綿、羊毛産業へ()
日本最古の学校、足利学校などで知られる足利は古くから栄えた街で、隣接する桐生に刺激されて繊維産業が発達してきた。
大谷石を積んだノコギリ屋根の工場など、独特の雰囲気を醸し出し、絹から木綿、羊毛へと繊維が変わる時代を映している。
富岡製糸場ができたおかげで、周辺に養蚕をはじめ、生糸生産の産業が集積することになる。富岡のほか、江戸時代から繊維産業の町として栄えた桐生とともに、北関東の繊維産業の一大産地を形成していく。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸