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豊田自動織機 執行役員 山口和幸氏インタビュー1|日本の生産業界の失われた20年とは?

2013ものづくり総合大会の参加者 豊田自動織機 執行役員 山口和幸氏にお話を伺いました。日本能率協会の成富一仁がインタビューします。(以下敬称略)

日本の生産業界の失われた20年とは?

山口和幸さん

成富
現在のお立場と役割についてお聞きしてもよろしいでしょうか。

山口
2013年のものづくり総合大会(当時は生産総合大会)講演時は、当社の生技開発センターに在籍し全社生産技術のとりまとめ、生産技術開発、内製機の製作などの業務を担当しておりました。

現在(2015年)はコンプレッサ事業部に移りまして、事業部内の生産系を担当しております。

成富
具体的にはどのような変化がありましたでしょうか。

山口
生技開発センター在籍当時は、会社全体の生産技術戦略や、先行開発、全社の生準に対する要員の負荷コントロールなどの中長期的かつ全社的な統括をしていくことが役割でした。

現在は、事業部の中の日常の生産と中長期的な戦略の立案を担当しています。

後者は、世界最適生産に向けて、現在の生産体制をどのようにしていくのか、先に向けた生産技術や工場の配置などの生産体制の強化などが求められております。

武器道具の準備からその運用・使い方の考案に役割が変わりました。

成富
ありがとうございます。
ご講演当時のお話をお聞かせ頂いてもよろしいでしょうか。

山口
2013年以前の2010年にも講演させていただきましたが、そのときは、リーマンショックの影響が強い時期でした。

私たちがやってきたものづくりの手法や、日本の製造業の在り方を大きく見直さなければならない時期であったと思います。

失われた20年という話はありますが、当時の業界ではそういった感覚はなく厳しくはありましたが、ずっと世界で拡大してきたという感覚があった気がします。
ところが、製造業界の環境が大きく揺らいだのが、2008年のリーマンショックでした。

単純な量の拡大が複雑化、先進国が中心のものづくりから、リーマンショック後は、「新興国」、あるいは「多様化」がキーワードになりました。

一方で、強烈な円高が進み、国内のものづくりは、3重苦、4重苦と言われるような、非常に厳しい状況に置かれたのがリーマンショック以降の状態でした。

当時の私たちは、厳しい環境下でどのように戦っていくのかを非常に悩んでいました。

ものづくり総合大会に参加して、同じような製造業界で同じように悩みを持っている方々が多くみえることがわかりました。

その事が、私たちの考えているものづくり戦略について、よく考え直す機会にはなったと思います。

具体的には製品技術だけでなく生産技術により光を当て、優位性を確保していくような考え方です。

製品技術は、コピーできるものは、いくらでもコピーできてしまいます。

特許で守られているといいながら、実際にはどのような技術か見えてしまって、比較的、リバースエンジニアリングがしやすいですが、生産技術という領域に関しては非常に真似しにくいわけです。

ものづくり総合大会への参加により、生産技術を囲い込んで強豪との間に優位さを持つという戦略は他社にもあることがわかり、勉強させて頂くことが多かったです。

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