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ものづくり 日本の心

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。
発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

055>観音崎灯台――外国から求められた洋式灯台の第1号

観音崎灯台は、高さ19メートルでコンクリート造りの8角形。海から40m弱の丘の上にある日本初の洋式灯台だ。日本の灯台50選に選ばれている。
観音崎灯台に行くには、車で国道16号線を下ればいいが、バスならばJR横須賀駅か、京急線の汐入、横須賀中央から観音崎行きバスを利用するのが便利だ。あるいは逆に、浦賀から観音崎行きのバスでもいい。終点の観音崎一帯は神奈川県立公園になっている。
灯台まで高さ40m弱、海沿いの遊歩道と山道を、30分ほど歩くことになる。途中、砲台の跡もあるので、ウォーキング気分で時間をかけて楽しむといいかもしれない。
1859年に横浜が開港してどっと押し寄せた外国船にとって、最大の課題は房総半島との間わずか6.9km、流れの速い東京湾の入口をどうしたら安全に抜けられるかということだった。特に視界のきかない夜間が大問題で、灯台の設置が切望されていた。
こうした中で、慶応2(1866)年、米英蘭仏各国と結んだ江戸条約(改税条約)では、観音崎・剣崎(三浦半島)、野島崎(房総半島)など、全国8か所への灯台設置が条件にされた。便利にすれば侵入されやすい、不便のままにすれば侵入を防げるが、交易は伸びない。幕府内の議論にはまだそうしたジレンマもあったが、内向き志向の古い基準を捨てる流れは止められなかった。
おりから幕府は、横須賀製鉄所を建設中で、建築資材としてレンガを作っており、横須賀製鉄所のヴェルニーやフロランによって、このレンガを使用した洋式灯台の設置が進められた。こうして、最初に作られたのが、東京湾入り口の両側に位置する観音崎灯台(1869年)と、野島崎灯台(1870年)だった。

観音崎は太平洋から東京湾に入る、入り口の高台に位置している。はるか洋上からも見通しがきき、灯台には絶好のロケーションである。

観音崎灯台。現在の灯台は3代目で大正14(1925)年に作られたコンクリート製。参観料:中学生以上200円。小学生以下無料。

現在の光源とレンズ。4等フレネルレンズで、群閃白光、7.5秒ごとに閃光、77,000燭光の明るさで、光達距離は19カイリ(約35km)。

観音崎灯台の案内板

梶文彦 写真

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。

梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。

写真撮影:谷口弘幸


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