047>浦賀船渠――歴史を物語るレンガづくりドック
以後、浦賀船渠㈱は、住友重機械工業と社名を変えるが、通称、浦賀ドックとして地元に根を下ろして事業を展開してきた。平成15年に工場は閉鎖してしまったが、数々の駆逐艦や帆船の海王丸、2代目日本丸、さらには石油タンカーなど、1000隻以上の船舶を建造してきたこの造船所は日本の造船史に欠かすことができない輝かしい歴史を持っている。
造船事業そのものは、新工場を横浜市夏島に建設し、機材を移して稼働中だが、浦賀ドックの敷地内は建屋も含めてほとんど手つかずで残されている。中を見学する機会は、年に一度開催される公開行事「咸臨丸フェスティバル」や「中島三郎助まつり」、不定期に開催される見学会しかないのだが、実は貴重なドックなどは外から見ることができるようになっているのだ。
京急浦賀駅から浦賀ドックに沿って右(西)の道路を700メートルほど行くと工場入口がある。ドックの歴史が書かれた看板があるので、これを一読して先に進もう。
しばらく行くと、塀が低くなっていて、タワークレーンが見えてくる。中を覗くとドックが目の前に見えるのだ。しばらく行くと、今度は塀が金網になっていて、工場をバックにクレーン2基が見える。中にははいれませんので、外から見てください、という工場のイキな計らいであろう。住重さんやるではないか。
現在、この一帯を再開発するとの話もある。レンガドック、造船台を含めて公開・保存されることを期待したい。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸