横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流
6.戦艦三笠と猿島――日露海戦を勝利に導いた旗艦と要塞の島
042>整備されて現代によみがえる要塞
猿島は、幕末から第二次大戦前まで、東京湾と首都防衛のための拠点だった。弘化4(1847)年、幕府により江戸湾防衛のための台場が設けられたのが最初だ。長崎に出入りしているオランダから外国の船が日本周辺で様子をうかがっているとの情報を得て、江戸湾に入ってくる外国船への防衛策だったが、そのための十分な火力を持った武器もなく、黒船の江戸湾奥への入船も阻止することもできないありさまだった。
明治に入ると首都防衛の必要性がさらに高まり、陸軍省・海軍省の所管となって、本格的な砲台が構築された。小高い丘を切り開き、岩盤を削ってトンネルを掘り、煉瓦で覆った兵舎や弾薬庫などをつくって、本格的な要塞を作り上げた。しかしながら、この猿島要塞は一度も実戦を経験することなく、終戦を迎えている。
戦後は米軍に接収されたが、渡航は可能になり、海水浴などに利用された。長い間、放置されている状態が続き、平成7(1995)年に横須賀市が大蔵省から委託を受けて管理するようになって、要塞の施設も含めて公園として整備された。平成15(2003)年に、横須賀市に譲渡されたのを機に、横須賀市が猿島公園として整備した。現在は、案内をするボランティア・ガイドもいて、人気の観光地になっている。
島全体の管理事務所は発着場近くの砂浜にある。季節によって売店(7-9月)、レストラン「オーシャンズキッチン(7月中旬~8月末)、BBQのレンタルショップなども営業しているが、ほかには売店なども何もないので、音連れ瑠際は、必要な飲料などはしっかり用意していった方がいい。詳細は、WEBページで事前に調べておこう。
(http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/4130/sisetu/fc00000431.html)
●6_CIMG4214 要塞の案内図。案内板もしっかりしているので初めてでも大丈夫。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸