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ものづくり 日本の心

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。
発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流

6.戦艦三笠と猿島――日露海戦を勝利に導いた旗艦と要塞の島
039>「天気晴朗なれど波高し」「坂の上の雲」の世界

司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読まれた方にとっては、戦艦「三笠」と聞けば、主人公の一人秋山真之の人生と重なって、ある感慨をもって思い出される名前ではないか。
日本が国際社会に登場する過程でおきた、ロシアとの清国・遼東半島をめぐる争いに端を発した日本海海戦で、司令長官東郷平八郎の巧みな戦術で、無敵といわれたロシア・バルチック艦隊を撃破した、その旗艦である。
勝利した日は、町には終日万歳三唱の声が絶えなかったという。国民が戦いの結果をかたずをのんで見守り、日本の行く末を自身のことのように感じていた時代である。
三笠は英国ヴィッカート社のバロー=イン=ファーネス造船所で作られ、1902年に就役した。全長131.7メートルで排水量15,140トン、最大速力は18ノット、乗員860名、主砲40口径30.5センチ連装砲2基4門、副砲40口径15.2センチ連装砲14門・・・。当時の世界最高クラスの性能を誇る軍艦である。
戦艦「三笠」が記念館として保存されるようになったのは、大正14(1925)年。進水以来25年、軍縮条約により廃艦・除籍された三笠が解体の危機に瀕したとき、国民の間から保存の声が上がり、横須賀に置かれた。
昭和33(1958)年、保存会が結成されて記念館として整備され、一般に公開されるようになった。現在は、国の委託を受けて財団法人三笠記念館として保存・公開活動が展開されている。観覧料は600円(シニア500円)。ゆっくり見ても1時間、しばし明治に時代に戻って当時を思ってみるのもよい。
館内では、主砲の30センチ砲やその砲弾、15センチ砲が置かれた砲室、環境などをま近かで見られる。三笠の艦橋に立って「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」と大本営に打った電文や、Z旗に込めた「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」を暗唱してみるのも悪くない。

三笠を背に、司令官東郷平八郎の像が立つ。

記念館三笠を海側から見たところ。

記念館「三笠」の配置図(「三笠保存会」案内より)

主砲の40口径30.5センチ連装砲。弾丸がすぐ横に置かれているが、重量400kgという重さで、装填の大変が分かる。

配置図に補助砲と書かれている8センチ砲、合計20門あった。

操舵室。

装甲艦橋と操舵機器。

艦橋からの眺め。ここに立って砲弾が飛び交うなか、東郷平八郎や秋山真之が指揮をとった。

梶文彦 写真

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。

梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。

写真撮影:谷口弘幸


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