横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流
5.横浜製鉄所――横浜につくられた日本初の洋式工場
035>富岡製糸場の鉄水槽を製作
富岡製糸場にある鉄水槽も、輸入鉄材を鋼板にし、パーツに分解して製作して現地に輸送、現地でリベット接合で仕上げたものだ。富岡製糸場の繰糸機はフランスからの輸入したものだが、蒸気機関の補修部品なども横浜製鉄所で製作したと言われている。
横須賀製鉄所では、初期にいくつかの小型船を建造しているが、横浜製鉄所との間の器材の輸送に使った十馬力船の小型船舶用の蒸気機関はここで製作したものだ。また、陸軍の野砲の修理などのように、各藩が輸入しながら持て余していた設備などの補修もここに持ち込まれた。
機械加工、工作の実力としては、大型艦船用の馬力の大きな、高圧の蒸気機関を製作する力はまだなく、やむなくフランスから輸入して何とか間に合わせていたが、比較的低圧のものであればなんとか製作できるようになっていた。
最大の課題は、製鉄所と言いながら鉄鋼を生産する能力も設備もなく、鉄材そのものは輸入に頼っていたことにある。この状態はしばらく続き、幕末から鍋島藩や水戸藩、さらには幕府自身によって釜石での製鉄事業などが試みられていたが、いずれも小さな反射炉のレベルにとどまっていて、とても大型の艦船を建造するような鉄鋼を連続生産するに至らず、日本で本格的に高炉を使った鉄鋼の生産が行われるのは明治37(1904)年の八幡製鉄所での成功をまたねばならなかった。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸