ものづくり 日本の心

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。
発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流

5.横浜製鉄所――横浜につくられた日本初の洋式工場
034>機械工作のイロハを伝授

工場は、広さ約4,300坪、変形四角形の土地で、鋳造工場、錬鉄工場、製缶工場、旋盤工場、木型や木工用旋盤、模型工場・・・など16棟をもつ、最新鋭の工場だった。
首長にセミラミス乗員のドローテル海軍技官が就任。横浜製鉄所に雇い入れたフランス人技術者は12名で、専門は、錬鉄、鋳造、製缶、木型、鑢鑿(りょろ:ヤスリ・ノミ)などで、横浜製鉄所では、輸入した鉄材を利用して、横須賀製鉄所で使用するヤスリやノミなどの工具類から、小型の蒸気機関などを製作。そのプロセスで機械加工技術のイロハから伝授し、日本人職工を育成した。
横浜製鉄所の役割は、横須賀製鉄所を成功させるためのパイロット工場であり、横須賀工場が立ち上がって稼働を始めればその役割は終わる。とはいえ、1865年当時、本格的な設備を備えた洋式工場としては、幕府が安政4(1857)年にオランダ人技術者を招いて長崎に作った造船施設「長崎鎔鉄所」があるだけで、江戸付近には皆無だった。水戸藩が隅田川の河口に作った石川島造船所にしても、造船に必要な設備がそろっているわけではなく、その運営には苦労をしていた。
そこに、本格的な設備を備え、しかも最先端の技術を持った技術者が指導する工場ができたため、注文は殺到した。船舶修理だけでなく、機械加工を行う設備と技術があったために、当初のねらいであった横須賀製鉄所用の工具や設備を作る一方、多くの依頼に応じて、さまざまなものを製作した。

横浜製鉄所の構内図。横浜の石川口にあったので横浜石川口製鉄所と名乗った(『石川島重工業株式会社108年史』より)

横浜製鉄所の図。石川口製鉄所となっているのは、明治12年に、平野富二が払い下げを受け、東京の石川島平野造船所(後の石川島播磨重工業)の分室(石川口製鉄所)と改名したため(神奈川県立博物館編『横濱銅板畫-文明開化の建築』有隣堂)。

梶文彦 写真

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。

梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。

写真撮影:谷口弘幸


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