横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流
4.横須賀造船所――140年間現役で稼働する石造りドック
028>フランス語と造船技術の伝習学校――造船技術者を育成
産業近代化という点で、横須賀製鉄所が残したもう一つの足跡は、50人ものフランス人技術者が来日して事業所に従事し、人材育成に力を尽くしたことにある。製鉄所での指導はフランス語で行われたために、造船学を学ぶものはまず、フランス語を学ぶ必要があった。次項で紹介するように、横須賀製鉄所に先行して横浜製鉄所を建設し、そこでフランス語や機械加工技術の基本を指導したが、それはこの横須賀製鉄所の事業展開、技術者の育成などをスムースに進めることをねらいとしたものであった。
首長のヴェルニーが赴任するにあたってねらいとしたのは、単に造船所を建設するだけでなく、学校を設けて造船技術者を育成することにあった。そのため、彼は学校の設置を熱心に政府にはたらきかけ、事業所内学校ともいうべき黌舎(こうしゃ)を設立しているのである。しかもそのレベルは、単に職業学校というものではなく、フランスの高等学校への留学を目指すような、本格的な専門学校であったため、授業はフランス語で行われた。学ぶために、まずフランス語の習得が求められたのである。こうしたねらいはまさに実現して、この学校から、後に浦賀ドックの設計などで活躍する恒川柳作なども生まれている。
高度な技術者とともに優秀な技能者を育成するために、伝習学校や職工学校を併設している。伝習生とは、慶応2年に始めたもので、士族の子弟らを技術者として育成するもので、職工学校は横須賀周辺の地域から10歳以上の子弟を集めて機械加工の高度技能者を育成した。
こうした教育の中でも大きな役割を果たしたのは、横浜製鉄所からのつながりで行われたフランス語の授業であり、ここからフランス語通訳なども生まれている。造船技術者としては、黌舎で学んだものの中からフランスの大学に留学する者も生まれており、短期間であったが、高等教育機関として大きな役割を果たしている。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸