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ものづくり 日本の心

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。
発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流

4.横須賀造船所――140年間現役で稼働する石造りドック
024>製鉄所から海軍工廠へ--初の軍艦「清輝」を建造

1号ドックに続いて、明治7(1874)年に3号ドック(96m)、明治17(1884)年に2号ドック(151m)と建設され、艦船大型化の流れの中で明治38(1901)年4号ドック(240m)、大正6(1916)年5号ドック(324m)、昭和10(1935)年6号ドック(366m)と作られていく。完成以来140年を迎えた1号ドックから77年経った6号ドックまで、現在も使用されており、特に石づくりの1-3号ドックは当時の日本の技術を検証する国宝級の産業遺産である。
なお、最も長い2号ドックを真ん中に配置したのは、もっぱら両側にある1号、3号ドックの排水ポンプを活用して、長いドックの排水効率を向上させる工夫である。 横須賀製鉄所はヴェルニーの指導で作ったフランスの技術を集めた最新の造船所で、日本人が設備を使いこなせるように、先行して横浜製鉄所((五) 横浜製鉄所――横浜につくられた日本初の洋式工場)を作り、横須賀製鉄所で使用する設備を製作しながら、フランス語と機械加工技術・造船技術を訓練した。
明治4(1871)年、横須賀造船所と改名。翌年、明治5(1872)年には海軍省主船寮が主管になる。ここで、待望の軍艦第1号「清輝」(せいき:897トン、全長61メートル)を完成。清輝は西欧の軍艦には及ばないが、それでも自前で軍艦を建造できたのは大きな成果で、進水式には明治天皇も臨席している。この船は日本の艦船として初めてヨーロッパへ遠征している。技術力を誇示するためのお披露目というところか。
明治8(1875)年には、海軍がイギリスの指導を受けるようになり、軍政がイギリス式に変わったことで、ヴェルニーを解雇。イギリス人技師2名を採用する。
こんな中で、明治9(1877)年2月には砲艦「磐城」(1464トン、350馬力)、3月には国産第3艦「天城」を進水させる。天城は938トン、720馬力、乗員160名。クルップ式の砲門を備えた3本マストの国産初の巡洋艦だった。フランス人技術者なしで、軍船を建造できるまでになっていた習得力の速さは注目に値する。
この後、造船所は、明治17(1884)年には横須賀鎮守府直轄に、そして明治35(1903)年には横須賀海軍工廠となり、大型軍艦の建造に一直線に進む。

*この記事中の10行目に
「先行して横浜製鉄所((五) 横浜製鉄所――横浜につくられた日本初の洋式工場)を作り、とあります。ここは、次項の「3-4横浜製鉄所」をリンクしてください。

3つのドックの位置関係。それぞれ間にポンプ小屋があり、両方で使えるようになっている(季刊「大林」より)。

造船台上の「清輝」の竜骨(『日仏文化交流写真集・第1集』駿河台出版社)。

「天城」の進水式(1877.03.13)。清輝級スループの拡大改良型で船材の多くは天城山で伐採したものを使用。完成は翌1878年04月04日(『日仏文化交流写真集・第1集』駿河台出版社)。

梶文彦 写真

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。

梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。

写真撮影:谷口弘幸


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