横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流
4.横須賀造船所――140年間現役で稼働する石造りドック
022>横須賀造船所――貿易港横浜を支えた修船施設
京急線の快速特急で品川から約1時間、「汐入」駅を下車して国道16号線を右に行き、200メートルほど進むと本町2丁目の交差点がある。この交差点の正面に米海軍横須賀基地のゲートがある。
横須賀製鉄所は、明治初めに横須賀村の三賀保、白仙、内浦にまたがる約244,600㎡に、山を崩して海面を埋め立て造成・建設された。製鉄所の名は、鉄材を加工する工場という意味で、ねらいはフランスのツーロン港をモデルにした軍港と造船・修船施設の建設だった。
当時の敷地は、いま米軍に接収されていて入れないが、年に何度かある開放日は、このゲートから入って見学することができる。
1859年の横浜開港以来、太平洋の荒波を越えてたどり着いた外国船は船体が傷んで修理の必要なものも多く、修船施設の整備が要望されていた。
勘定奉行小栗上野介の提案をうけて、慶応元(1865)年9月27日横須賀に修船と造船施設が作られることになり、ここから横須賀の町は大きく変貌していく。貿易港・横浜に対する修理施設・横須賀は、フランスの貿易港マルセイユに対するツーロンと同じ関係である。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸