横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流
2.ヴェルニー公園――軍港横須賀を見渡す歴史の公園
015>正岡子規の碑――帆檣(はんしょう)の冬木立
長門の碑のすぐ横に「軍艦沖島の碑」がある。沖島は昭和11年に建造された機雷水雷の敷設艦で、昭和17年にソロモン群島の海戦で沈み、44名が命を共にした。昭和58年に生存者が、亡くなった戦友をしのんで慰霊碑を建立したものだ。
この碑に並んで、一番奥にあるのが正岡子規の碑である。軍関連の碑が並んでいるので、子規が海軍の碑を?・・・と、一瞬?マークが頭を巡ったが、こちらは海軍とは関係のない、単なる横須賀港にまつわる句碑だった。
碑文は、「横須賀や 只帆檣(はんしょう)の 冬木立」。
明治21(1888)年に、夏季休暇に浦賀から横須賀を旅した際に読んだもので、1867年生まれの子規、一高生21歳の時の句である。帆檣(はんしょう)とは、帆柱のこと。季節は夏だが、港には帆柱が林立していて、冬の枯木立のようだ、とよんだ句である。
時は明治21年。軍港にたくさんの軍艦が停泊している。石炭を動力源としながら、巡航時には帆を張って航行する帆船仕様になっている船がほとんどで、帆をたたんで停泊している姿をよんだものだ。世のなかは殖産興業・富国強兵にまっしぐらに進みつつあるなかで、港内に停泊している軍艦のマストが冬木立のように見える。のんびりした違和感のようなものを詠んだのであろう。軍関連の碑と並ぶと突き放した第三者としての視点が異彩を放っている。当時の横須賀港は、観光地の目玉でもあったということが改めてわかる。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸