横須賀製鉄所――造船王国・日本の源流
1.150周年を迎えた現役ドックの宝庫
009>フランス式マネジメントの導入
横須賀にツーロンを模した軍港と造船所を作るために、計画は2段階で進められた。横須賀で使用する機械類などを整備する製鉄所を、先行して横浜に建設し、同時にフランス語と造船技術者を育成した後に、横須賀製鉄所を建設する。この計画に従って、1864年に横浜製鉄所を、翌65年に横須賀製鉄所を起工する。その間、ヴェルニーはフランスに帰国し、必要な技術者を採用し、設備を手配した。
こうして採用され、来日したフランス人技術者は52名、敷地内に造船・修船用のドライドックが作られ、長さ300mの製綱工場などの施設が整備されて、本格的な造船所として稼働し始める。
この横須賀製鉄所には、フランス人技術者が導入されるのに合わせて、フランス式のマネジメントが導入された。勤務時間が明確に決められ、日曜日を休む週休制が導入され、また、造船技術者を育成するための学校が設置された。この工場は、横須賀製鉄所以外の仕事も引き受け、日本の産業近代化にさまざまな貢献をしていくことになる。
明治政府も各国との通商協定の締結で知恵をつけていき、フランスとの通商条約では、横須賀製鉄場をはじめとして具体的な支援をうたうようになっていた。
洋式の近代的な灯台の設置もその一つで、観音崎灯台、野島崎灯台などがフランス人によって設置された。また、フランス人ポール・ブリューナが首長を務めた富岡製糸場の工場を設計し、機械類を整備するなど、遅れて日本にやってきたフランスが、日本の産業近代化に大きな貢献をするようになったのには、他の国々の高圧的な態度の隙間をついたしたたかなフランスの戦略でもあった。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸