「日本のものづくりは、世界の財産である」(98)|第八章 ものづくりの将来性と潜在力 〜グローバルなイノベーションを起こすために〜
これまで私たちは、多くの文化や技術を欧米始め、多くの国から学んできました。そして、逆に欧米も、アジアのもつ異質さ、その価値観に目を向けようとしています。
いまやITの高度化によって、通信は空間的な距離をものともせず、コミュニケーションすることを可能にしてきました。また輸送機器の発達によって、物理的な移動も、つい、50年前までは東京から大阪への出張が移動に8時間もかかり、一泊が必要だったことさえ信じられないほど手軽になりました。
距離という障害が亡くなり、また、国境という障害が開かれるようになったいま、市場は国内より、国外に移動しています。そんな時代には企業の思考・行動範囲もよりクローバルなものが求められます。
1978年、鄧小平が中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議で打ち上げた改革・開放政策を受けて、安価な労働力を求めて、多くの企業が中国に進出し、ものづくりの場が国内から海外に移動しました。中国の開放政策に刺激されて、多くのアジアの国々でも改革が進められ、ものづくりの現場は滝つぼに水が流れ落ちるように、アジアへとうちっていきました。
そうした国々では、産業の発達とともに、給与所得者が育ち、いまや、製造の場としてだけではなく、購買力を持った消費市場として重要な意味を持つようになりました。大きなマーケットをもつそうした国々と良好な新横浜ビジネスを展開するためには、お互いの理解が不可欠です。
アメリカも、ヨーロッパの国々も、もともと海外からの移住者が多く、あらゆる世界で、いわば異文化を持った人たちが、活躍しています。アメリカの企業を訪ねれば、事務所にいる人材の半分は、ヨーロッパ出身だったり、南米、アフリカ出身だったり、あるいはアジア出身だったりします。そうした人材がお互いに競い、せめぎ合って、新しいエネルギーを生み出しているのがアメリカ社会です。
ヨーロッパも同様です。ヨーロパは元々地続きで、人材の交流は活発です。西欧の国々にも東欧から中東、アジア、アフリカの人材は溢れています。かつて植民地を持っていた経験から、アフリカ、南米、アジアの人材はかなりの高い比率で人口を構成しています。
さらに、いまはEUが域内の人材に国境を開放していますから、EU加盟国の企業の事務所は異文化人材の宝庫と言ってもいいでしょう。海外の企業では、多くのグローバルな人材がグローバルな市場をめざして戦略を検討し、活動を展開しているのです。
ひるがえって、日本を見ると、日本の企業で働いているのは、ほぼ100パーセント日本人です。企業は海外進出をめざしてグローバル戦略を立案し、グローバルを対象にした商品を開発し、マーケティング活動を展開しています。
グローバルな市場をめざして・・・と言いながら、日本の企業で戦略を検討するのは日本人ばかりです。果たして、こんな状況で本当に日本の企業は海外の企業とグローバルな市場で競争できるのでしょうか?

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸