「日本のものづくりは、世界の財産である」(97)|第八章 ものづくりの将来性と潜在力 〜日本の時代がやってくる--本番はこれからだ〜
わたしたちがこれまでに作り上げてきた高度なものづくりの技を、未来に向けてさらにブラッシュアップしていくことが重要だということについて、どなたも異論はないと思います。
改めて、私たちの過去から続く、ものづくりへのこだわりを見ていると、日本人は、もしかすると、ものづくりを高度化するために生まれてきた民族ではないかと思うほど、ものづくりのプロセスに抱く関心の強さは超弩級です。
国内からものづくりの場が消えつつあるなかで、日本のものづくりは終わりだという人がいますが、わたしは、まだまだ大きな可能性を秘めている、いえ、むしろこれからが日本の感性を世界にアピールする本番だと思います。
これまでわたしたちは西洋の科学技術を礼賛し、どちらかと言えば伝統的な考え方や行動様式を古いもの、劣るものとして退けてきました。
しかし、西洋の文明から見ると、私たちが古いものとして退けてきた日本古来の文化や伝統は、これまで全くなかった、新しいもの、新しい文化や価値観を持った新鮮なものであるという認識が欧米から表明されるようになってきました。文化遺産に登録された和食の世界、素材を加工し、味わうそのやり方もその一例です。
1859年、アメリカとの間で結ばれた通商条約に従って5港を開港し、西欧文化に門戸を開いて以来、西欧社会から、日本の文化、あるいは慣習や伝統は「古い、異端なエキゾチズム、目を向ける価値のない低俗なもの」としてみなされてきました。その一因として、列強に張り合って領土拡大を図った明治以来の軍国日本の歴史もあって、部分的に、日本的なものは忌み嫌われるマイナスのイメージを持たれてきたこともあったと思います。
そのカウンターイメージとして私たちも、私たちの文化や伝統を古いものとして退けてきたきらいがあります。しかし、明治以来150年の交流を経て、日本古来の伝統の上にあるものは、西洋の文明から見ると、
・これまで全くなかった新しいもの、
・自分たちにはない文化や価値観を持った新鮮なもの
であるという気づきが欧米から表明されるようになってきました。
和食の世界が文化遺産に登録されたのも、
・素材を加工し、
・味わう
日本独自のやり方が、「異端」なものとしてではなく、新しい価値観、論ずる価値のある文化として、やっと彼らに受け入れられるようになったためと思います。
一神教に対して、万物に神が宿るとする発想は、西洋思想から見ると、目からうろこのものでしょう。地球にはさまざまな民族が住んでいます。一つの価値基準ですべてを序列化してしまうのではなく、それぞれの民族が独自の価値基準と文化を持って共存する、いわば、八百万の神の存在が、地球の共生という観点からも自然な発想であることは言うまでもありません。
それはある意味で、これまで競い合うことで自己の正しさを主張し合ってきた西洋の文明が、自分たちと価値観を共有しない他者の存在とそのもつ異質な価値観を先入観なく認め始めたということかもしれません。
西欧の文明が、明治以来、異質の存在として列強の仲間入りしようとしてきた東洋の小国に対して、その文化や価値観を理解するまでに150年という時代が必要だったということでしょうか。つまり、コミュニケーションを正しくかわすということが、いかに長い時間を必要とするものかということです。
日本の文化、価値観、伝統や慣習が世界に広がっていくのは、これからなのです。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸