「日本のものづくりは、世界の財産である」(80)|第七章 日本人の創造性と独創性 〜日本を世界の研究者がくる国に〜
なお、基本的な姿勢として、ノーベル賞の選考委員会はどの国の研究者に授与するか国を問うていません。というのは、研究のために国籍を移すということが当たり前のように行われていて、出身国時代の研究成果が授賞対象になるケースも少なくないので、国籍は意味をなさない、ということでもあります。南部陽一郎・中村裕二がそのよい例です。なので、ここであえてことさらに「日本人受賞者数」をあげることがナンセンスであることは言うまでもありません。
とはいっても、あらためてこうした数字を見てみると、日本人もなかなかのものではありませんか。そして、毎年、受賞候補者として多くの日本人科学者の名前があげられていますので、今後も、日本人受賞者は生まれそうです。
21世紀に入って17年目になりますが、ノーベル賞受賞者数世界第2位の国に対して、「創造性はない」とは言う人はいないでしょう。日本人は世界の中でも有数の研究開発力、創造力、独創力を持った国である、と認識を新たにすべきではないでしょうか。
翻って考えれば、もともと日本人に創造力がなかったわけではありません。独創力がないと言われていたのは、単に基礎的な研究を習得するのに時間が必要だったということです。先進的な研究を生み出すまでの雌伏の時間をへて、やっと成果を生むようになってきたのです。
いまの教育では今後の研究開発力が不安だ、ノーベル賞受賞者は出なくなるのではないか、という声も受賞者の間で聞こえます。研究の世界ではそうした危惧が現実にあるのかもしれませんが、あるいは、この意見も、多少“自虐的な”ニュアンスで語る日本人の性癖を考慮して受け取る必要がある?・・・のかもしれません。
アジア地区をみると、世界第2位の経済大国となった中国は平和賞・文学賞で受賞者は生まれていますが、自然科学系では出ていません。国際技能五輪では常勝国となった韓国も、平和賞が一人いるだけで自然科学分野では受賞者はゼロです。
だからと言って、中国、韓国をはじめとするアジア諸国の人々に創造性、独創性がないかといえば、10年、20年後に、世界中の科学者が中国語を学び、中国留学をめざすようになっている、そんな時代が来ないと言えるでしょうか。
ここで気になるのは、日本の受賞者がアメリカの大学や研究機関で研究活動をブラッシュアップし、成果を上げているケースが多いことです。ボーダーレスの時代、そろそろ、高いレベルでの受賞者を輩出している日本に来た研究者が、母国に帰ってノーベル賞を受賞するような成果は出てこないものか、と思います。
いまスーパーカミオカンデにはたくさんの研究者が来ています。こうしたことが当たり前になるような、研究体制になってほしいと思います。もっと多くの研究者を日本に招き、外国人研究者とともに日本の研究活動をレベルアップしていきたいものです。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸