「日本のものづくりは、世界の財産である」(73)|第六章 勤勉革命と能力主義の萌芽 〜取り込み詐欺の被害〜
立憲君主制とは、庶民に政治を任せると、利益追求に走って、イギリスやアメリカのような富の配分がいびつな国になる、それを防ぐには、利益追求に関心を持たない、皇族・士族のリードで国を運営する必要がある、ということです。
『ザ・タイムズ』のインタビューに応えて「悪の回避」という話が出てくる裏には、実は、こんな経験もしています。
視察団一行の参加者や留学生の多くは、長州出身の南貞介なる人物が役員をしていたアメリカン・ジョイント・ナショナル・バンクに、金を預けていたそうです。しかし、ロンドン滞在中にこの銀行が倒産し、預けていた資金を失ってしまいました。調べてみると、南はおとりにすぎず、南自身もだまされていたというので、苦情の持っていきようがなかったそうです(『特命全権大使米欧回覧実記』イギリス編}。
少なくとも、女王が謁見するような使節団を相手に、取り込み詐欺が行われるなど日本人には考えられません。こんな経験もあって、欧米流の経済発展が、必ずしも文化や道徳面で人を高めるものではないという思いを強くしたのでしょう。
その是非はともかく、明治政府がとった立憲君主制は、言い換えれば、利を求めない貴族と、持たざることさえも誇りとする武士階級(政府)のリードがなければ国は正しく運営されないというのが根本でした。過度な富の追求を避けることが大切との判断でしょう。
ダントツの周回遅れで文明社会に参入した日本が、はるか高みに到達して発展を遂げているアメリカ、イギリスを訪問しながら、決して卑屈にならず胸を張って視察を続けてきた背景には、欧米の文明が持つ負の面へのしっかりした認識があったからかもしれません。
久米邦武がこうした報告を自信に満ちた筆致で書いているのは、おそらく団長の岩倉具視をはじめとする視察団一行の宿舎で、何度も熱い議論がたたかわされ、コンセンサスができていたに違いありません。
その時の議論のテーマが、西欧社会の経済発展のプラスの面だけでなく、マイナスの面にも及んでいたというのは、ある意味で理想主義的な国家づくりという視点がしっかりあったということではないかと思います。
明治維新のクーデターが、世界でさんざん繰り返されてきた、権力闘争や私利私欲のぶつかり合いとは一線を画した、「忠」や「義」を基盤にして、「私欲」から離れた国の長期的なあり方をめぐっての争いであったところに、伊藤博文が言う日本人の「精神性」の高さを見ることができます。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸