「日本のものづくりは、世界の財産である」(60)|第五章 科学より技術に向かう職人たち 〜江戸版自動機――二丁テンプの和時計〜
それに対して日本では、相変わらず、夜明けと日没を境にして、昼/夜のそれぞれを六等分したものを一刻とする不定時法が使われていました。
不定時法に合わせた時計は、一刻(とき=約2時間)の長さも昼夜で変わり、それが季節の移り変わりとともに、毎日変化していきます。この不定時法で使える時計を作ろうとすると、夏至から冬至に向けて、昼は時間を短くするために針の進み方を少しずつ早くし、夜は長くするために針の進み方をゆっくりさせていく必要があります。冬至が過ぎると逆に、昼は針の進み方を少しずつ遅くし、夜には針の進み方を早くさせる必要があります。
前章の延喜式の開門時間の項でもご紹介しましたが、日の出、日没時間は、1日に約45秒ずつ変わり、1週間で約5分、ひと月に20分早く/遅くなります。
この変化に合わせて、どうやって針を進めるのか、それが課題です。
ここからさまざまな不定時式時計のための機構が生み出されるのですが、そのプロセスで、時間の進み具合の調整を自動的に行うという、とんでもないからくり機構を生み出してしまいます。
日に2回、自動的に昼夜の進みを切り替える二丁テンプの工夫がそれです。
時計はテンプと呼ばれる機械で、一定のリズムを刻み、針をすすめます。不定時の和時計も初期はテンプが一つでした。そのため、時間の進む速さが違う昼と夜のために、毎日、日の出と日没に、テンプのおもりの位置を移し替え、時間の進み方を変える必要がありました。この面倒さを避けるために施された工夫がテンプを二つにしてそれぞれ昼と夜のリズムを刻ませ、それを日の出と日没に自動で切り替わるようにした和時計です(図)。
これで、昼と夜の時間の進み方の変化を、自動的に切り替えて調整することは可能になりましたが、日一日と変化していく昼夜の長さ、季節の移り変わりは調整できません。そこで、年間を二四節句に分けて、二週間に一度、手で調整することで、季節の変化に対応させたのです。和時計の図で、テンプに刻まれているギザギザのミゾがこのための目盛です(図)。
前述のように、日の出の時間は、明石の夏至の日には4時46分、遅い冬至には7時02分と、年間で2時間以上、1月に20分、1週間で5分ほど変化します。この変化までは自動で処理できませんので、2週間に一度、手でおもりの位置を調整する必要がありました。
こうしたからくりを組み込む工夫と技能があったことも驚きですが、それ以上に、この難解な課題に対して、何とか工夫をしてそれを可能にしてしまおうとする職人の業のようなものに興味を持ちます。
これを、仕組みや設計の問題として解決するのではなく、現場の技能力でカバーすると言い換えると、そのまま、現在もあちこちの工場で日常的に起こっていることでもあります。これも日本人のDNAみたいなものかもしれません。
※挿絵脚注
帽子の下のおもりがついて横に出ている棒がテンプ。これが回転する速度で、メモリが進む。節季ごとにおもりの中心からの位置をずらすことで、回転速度を変え、時間の進む速さを調整する。2本あるテンプを昼と夜で交互に動かすことで昼夜の時間の進み方を変えるしくみ。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸