「日本のものづくりは、世界の財産である」(58)|第五章 科学より技術に向かう職人たち 〜不定時法に合わせた時計の工夫〜
江戸時代を通じて、農業においても道具や装置は大きく工夫・改善されてきましたが、日本人の機械的な工夫という点でよく語られるのは、からくり人形と和時計づくりの技術です。
とくに和時計は、不定時法というややこしい仕組みの中で工夫された、世界にもまれな道具です。こんな時計を生み出す国、こんな面倒な工夫を実際にやってのける国民は、世界でもただひとつ、日本人だけです。このことだけでも、ものづくりにおける日本人の特殊性が分かるような気がします。
前章の延喜式の項でもご紹介しましたが、不定時法では、日の出が常に「明け六つ」、日没が「暮れ六つ」です。
日本の標準時で見ると、夏至は昼が14時間31分(夜は9時間29分)。冬至は、昼の長さは9時間56分(夜の長さは14時間04分)になります。江戸時代には、昼・夜をそれぞれ6等分して一刻(とき=約2時間)としていましたから、これを時計にすると、夏至の日の時計は、昼間の一刻の長さは2時間23分、夜は一刻を1時間47分にする必要があります(図)。昼は時計をゆっくり進め、夜は早く進めるわけですね。
日出時間/日没時間は毎日変化しますから、一刻の長さも毎日変化します。それに合わせて、針の進む速さを毎日変えなければいけません。日の出、日没が45秒ずつ早く/遅くなりますから、昼の長さは、夏至から冬至にかけては、毎日1分31秒ずつ短くなり、夜の長さは逆に毎日1分31秒ずつ長くなります。
時計を作っても、こんなややこしい時間の進み方を調整しなければなりません。そんな複雑な時計をだれがつくるでしょうか。
不定時の時計があるということ自体、海外では全く理解できないようです。定時、つまり、一定の速さで時間が進むから機械式の時計が作れるのであって、1分の長さが毎日変わるのを、どうやって機械化するのか、いや、毎日変わるということがおかしいので、一定の進み方にすればよいではないか……というのが合理的な考えでしょう。
ドイツ人に日本では不定時の自動時計があると紹介したことがありましたが、「意味が分からない」と言われました。定時法にすればよいのに、なぜいつまでも不定時法などというものを使うのか、それが分からないという意味と、そんなものを自動化しようという発想が分からないという両方の意味です。
時計作りの細工や加工の技術があるかどうかという問題ではなく、ことは、時間の進み方が毎日変わる不定時法という仕組みを受け入れて、それに合わせて道具を工夫してしまう、という生き方が、同じように技術に関心を持っている国民とはいえ、彼等には不可解なのですね。
このあたりのニュアンスは、ドイツ人だけではなく、日本人以外には理解不能かもしれません。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸