「日本のものづくりは、世界の財産である」(45)|第四章 律令時代を支えた計数管理 〜明解なインセンティブ給与の算出法〜
そんな厳しい状況でありながら、反故にされる用紙の率は、最悪の人でもわずかに2.5パーセント、なかには195枚の大般若経を書写して1枚も反故を出さなかった写経師もいたそうです。神経を使う作業に従事して、集中力を長時間継続できる質の高さは、現代なら高度技能者、現代の名工ということになるでしょう。
決して高給というわけでもなく、こんなに厳しい条件にもかかわらず、写経師が常にいたということは、あるいは、写経師が役所勤めや、寺社での出世の登竜門になっていたというような状況があったのかもしれません。
前出のように大井は、1日、7~8枚が妥当なところと書いていますので、写教師の生活レベルはどのようなものだったのかをみると、現代風な家族構成で考えれば、係長クラスの中堅サラリーマンクラスというところかもしれません。
写経師になるには、なによりも学問が必要であり、その意味で、特別な選ばれた職業、エリート中のエリートです。ここから役人への道があったとしても、こんなに厳密に作業が管理されていたということに、驚きます。
前掲の論文で大井重三郎は、「元来、写経師は達筆を要求されるのは当然であり、かつ作業は綿密慎重を要した。・・・能書は当然であるがやはり過酷な労働であった」と書いています。
一冊の経典から何冊かを作るなら、同一ページを続けて書かせた方が効率はよいが、そんなやり方もしていたのか、とそんな余計なことまで頭に浮かびます。
それにしてもこの品質とスピード、とてもいまの事務作業の標準時間には採用できません。たとえ役人への登竜門としても、どれだけの人間がこんな過酷な作業にたえられるか、応募者を探すことも難しいのではないか。
これが西暦700年から800年の奈良時代、平安時代に行われていた、プロ中のプロ、高度技能を持つ専門職・写経師の仕事ぶりであり、賃金算出の仕組みです。厳しいとはいえ、疑問の余地のない明解なインセンティブ給与の算出法ではありませんか。
「時間の計測」さえ一般的ではなかった時代、源氏物語が生まれるはるか以前に、これだけ細かな数値を基礎にした作業管理と出来高の管理が行われていたのです。
こうしたものを見てみると、むしろ、私たちの先輩は、意外と数値を使ってものごとを管理していたのではないかという予想も生まれてきます。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸