梶文彦の「ものづくり 日本の心」(38)|第三章 豊かに広がるものづくりの世界 〜忽然と知る円数の妙〜
野沢定長が、数学的に正しい三・一四を取らず、あえて三・一六二を選択したのは、なぜなのか。
円周率の計算に明け暮れるある日、彼はあることを発見して「忽然と円数の妙を知った」と紹介されています。その「妙」とは、「円周率は形で求めれば三・一四だが、理で求めれば三・一六二」というのです。
実際の形からくる値を「形で求める」といい、理屈に沿った値を「理で求める」として、野沢定長は、形よりも、「理」を取りたい、というのです。そうすると、三・一六二になるというわけです。何やら狐につままれたような話ですが、こういうことです。
数学というと、どちらかと言えば計算がすべてで、感情や思いなど入り込む余地がない無機的な世界と思いがちですが、そのなかで野沢定長は、いつしか「円は美しい形をしている。ならばその値も美しくなければならない」という思いに行きついたそうです。というよりも、そうあってほしいという願望の表れかもしれません。
そんな野沢定長が「忽然と円数の妙を知った」のは、一〇の平方根(面積が一〇になる正方形の一辺の長さ)が三・一六であることを知ったことがきっかけだと、板倉は説明しています。
外接する正多角形と内接する正多角形の間に円周率の真理があると追求してきた野沢定長が、面積が一〇の正方形の一辺の長さ=平方根を美しいと感じるのは、数学者特有の感性かもしれません。
数字が、人間の感情など入り込む余地がないほど絶対的な真理として、合理のみで進められていくのとはまったく逆に見えますが、当時の数学者の感性からいえば、意志や思いを込めて「理で求める」算法の方が、むしろ自然ということでしょうか。
日本の現場改善では、考えられないような工夫で改善が行われたりします。そんなとき、この、野沢定長の三・一四よりも三・一六を支持したい、という感覚が、論理だけでは気が付かない改善のアイデアを生みださせる切り札になっているような気がします。
直感でムリと思われるようなアイデアでも、さらに追求してみると、意外と方法が見つかったり、アイデアが生まれたりします。
この話しは、正しい/正しくない、あるいは、事実は何か、と議論をしているときに、いきなり、「それはそうかもしれないけど、アタシそれ好きじゃない」とか、「でも、それでいいの?」と、突然、別の論理基準を持ち出して相手をケムにまくやりかたに近いかもしれません。
論理で固まりがちな数学の世界で、自らの感覚や思いを信じて、あえて論理を外れてみることで見えてくるものがある、そんな感覚は、日本人には理解できそうですが、西洋的な合理性からいえば「クレイジー、わけが分からない」ということになりそうです。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸