梶文彦の「ものづくり 日本の心」(19)|第一章「勤勉」は近代産業とともにやってきた 〜どこへゆく「ものづくりの国」日本〜
章の冒頭、セミナーのアイスブレークとして「この国はどこの国?」と問題を出すと紹介しましたが、セミナーではこの話の結論は、こんな風に結びます。
ひとつは、国が持つ技術力は、時代とともに変わっていくということです。高い技術力と旺盛な改善・改良意欲を誇ったかつてのアメリカと同様に、やがて何年か先、日本からも技術力が失われていくのではないかということを考えてほしいということです。
ものづくりでこれだけ急成長を遂げたアメリカは、一九六〇年ころを境に、安価な労働力を求めて国内でのものづくりを放棄して、次つぎと海外に工場を展開し、隆盛を誇っていたものづくりの場は、少しずつアメリカ国内から消えていきました。
ものを作る喜びに増して、それによって利益を上げること、裕福になることを求めた結果です。そして現在では、受講者からまったくその名が出されなかったように、ものをつくるという面で、アメリカという国名が聞かれることが、ほとんどなくなってしまいました。
アメリカ文化を象徴しているアップルも、製造業と言いながら、自社では企画・設計だけを行い、ものづくりは海外のEMSと呼ばれる製造専門会社に依存しています。
かつてアメリカは、
・一九〇八年(明治四一年)T型フォード自動車の量産を開始し
・一九三一年(昭和六年)一〇二階の超高層エンパイアステートビルを完成し
・一九三七年(昭和一二年)全長二八三〇メートル、 塔間一二八〇メートルというゴールデンゲートブリッジを完成する
という輝かしい技術力を誇った国でした。その集大成としての圧倒的な生産力が豊富な物量を生みだし、第二次大戦を勝利に導いたといえます。
しかし、ものづくりが国内から海外に移ってしまった結果、航空機など最先端の製品さえ、メインパーツを外国に頼らないと製造できないという状況に陥っています。その結果、国内では雇用も確保できず、失業率は高止まりの状態で、オバマ大統領は、雇用を確保するために、海外に進出した工場を国内に回帰させようとしています。
いま、みなさんは「日本こそものづくりの国」と自負を持っているようです。
しかし、グローバルの名のもとに、多くの工場が海外に移転し、国内からものづくりが消えようとしています。日本の産業界も、何年か先に、アメリカのように、海外に工場を展開してものづくりを放棄し、国内には工場さえなくなってしまうということにはならないでしょうか。
もしそうなったとき、私たちは何を頼りに雇用を維持しているのでしょうか。長期を見据えた戦略を考え、いま、わたしたちは何をするべきか、この課題をしっかりと考える必要があるように思います。
アイスブレークのまとめの二つ目は、勤勉さもまた時代とともに変化していくということです。
かつて怠惰で自由気ままな仕事ぶりで先進諸国から来日した人たちを呆れさせていた日本人が、近代産業の導入とともに徐々に働き方を変え、やがて時間に合わせて働く先進国だった欧米の人たちからもあきれられるほどの類を見ない勤勉さを発揮するようになりました。
そして、経済の成熟化とともに生まれた新しい世代が、勤勉とは一線を画す価値観で、独自の新しい働き方を始めているように思えます。
そうした日本の状況と対照的に、金銭的な豊かさを求めてアジアの各地で、産業の近代化が進められ、日本で進められてきた勤勉とはイコールではないにしても、新しい仕事熱心な働き手が誕生しています。
日本人が勤勉さを失っていく中で、そうしたアジア圏の国々の中から新しい勤勉な国民が誕生するのではないかと思います。いま、私たちがアジアの人たちの怠惰さを嘆いて口にする言葉は、まさに、明治初期に欧米人が嘆いた言葉のように、何年か先に、彼らによって、「かつてそんなに言われていた時代があった」と振り返られるときがくるのではないかということです。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸