梶文彦の「ものづくり 日本の心」(9)|
第一章「勤勉」は近代産業とともにやってきた 〜第一回ロンドン万博でのデビュー〜
さて、セミナーの話に戻ります。
ものづくりの国がアメリカという正解のタネ明かしは・・・、設問のコメントや背景は、現代ではなく、1800年代中頃のアメリカを舞台にしたものなのです(『アメリカ職人の仕事史』森杲、中公新書)。
それほど国は変身しているということですね。
当時の状況を少し説明しましょう。
1700年代のなかごろ、イギリスでは紡績機の改良から始まった機械化が、ワットの蒸気機関の改良で、動力源を得て急速に進展します。その結果、設備の開発競争が他の産業にもおよび、機械化に拍車がかかります。鉄の需要がふえて大規模な製鉄業がはじまり、のちに、産業革命とよばれる機械化、工業化の流れがいっきにすすみます。
イギリスではじまったこの波は、フランス、ドイツを経由してヨーロッパ全体に広がり、1700年代後半から1800年代中頃にかけては、多くの産業で設備の開発競争が繰り広げられました。
日本が幕末から明治維新をむかえた時代は、欧米では産業の機械化が非常ないきおいですすみ、第二次産業がさかんになって、職業としての技術者が誕生した時代です。
そして、ヨーロッパで生まれた最近技術が、移民した人たちを通して独立したばかりの若き新興国アメリカにもたらされます。
当時のアメリカはヨーロッパからみれば開発途上の後進国です。独立の気概に燃える若い技術者たちが、ひと旗あげようと青雲の志をいだいて移民し、ゼロから立ちあげた国でした。1776年に独立をはたすと、そのままのいきおいで産業も急速に力をつけていきます。
希望に燃えて新しい大陸に移ってきた若い技術者たちは、なにもない土地で、必要なものを自分たちでつくりはじめ、次第に技術力を身につけ、新しいものをどんどん生みだしていきます。何よりも、目の上のたんこぶになりがちな先輩や上司がいないという状況が、若い人たちにとって思い切って自由に行動できる楽園となります。
そんな1851年、ロンドンのハイドパークで第一回の万国博覧会が開催されます。参加国は、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、それにアメリカなど34か国。141日間の会期に、なんとイギリス人口の3分の1にあたる604万人が訪れるほどの人気だったそうです。
イギリスは紡績産業の本拠地として、この産業革命に先鞭をつけ、先頭を切ってすすんでいた国です。当然、見物客の人気は、主催国で世界最先端の産業国イギリスの展示物に集まると予想していました。
アメリカにも参加を打診はしましたが、大西洋のはるか向こうの国でもあり、あくまでも添え物で員数外。関心はフランス、ドイツに比べイギリスがどこまで進んでいるか、それをロンドン子たちが自分の目で確かめて優越感を持つ、というのが当初のねらいでした。

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。
梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。
写真撮影:谷口弘幸