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ものづくり 日本の心

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。
発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

梶文彦の「ものづくり 日本の心」(28)|第二章 日の丸演説―日本のものづくりの出発点 〜日の丸…昇る朝日の尊き徽章〜


そしてさらに、今回も多くの情報を持ち帰り、みなさんが発展してきた成果を学び、短時日で通商を増進し、健全なる基礎をつくりたいと述べています。

 使節としても個人としても、我等の最大の希望は、我国に有益にして、その物的及び智的状態の、永久的進歩に貢献すべき資料を齎(もた)らして帰国するに在り。我等は固(もと)より我人民の権利及び利益を保護するの義務を負ふと同時に、我通商を増進することを期し、且つこれに伴ふ我生産の増加を図り、その一層大なる活動を助長すべき健全なる基礎を作らんことを望むものなり。
  太平洋上に今将に展開せんとする新通商時代に参加し、大いに為す所あらんとする大通商国民として、日本は貴国に対し、熱心なる協力を捧げんとす。貴国の現代的発明及び累積知識の成果に依り、諸君はその祖先が数年を要せし事業を数日にて成就し得るならん。貴重なる機会の集中せる現時に於て、我等は寸陰をも惜まざるべからず。故に日本は急進を望むや切なり。

通商を増進し、生産の増加を図りたいというのではなく、「その一層大なる活動を助長すべき健全なる基礎を作らんことを望む」と言っているのですね。結果を求めるのではなく、結果が生まれる状態をつくりたい、と言う主張です。これは、すごいことですね。

普通であれば、結果を求めるでしょうが、伊藤はそうではありませんでした。言ってみれば、成績の悪い子供が、「成績をよくしたい」というのではなく、「成績をよくできるような習慣を身に着けたい」と言っているようなものです。こんな発想は日本人にもともとあったものでしょうか? 早急に成果を求めるのではなく、体質を変えたいという主張は、聴いていたアメリカ人を驚ろかせたのではないかと思います。

そして最後に、伊藤は以下のように続けます。

 我国旗の中央に点ぜる赤き丸形は、最早帝国を封ぜし封蝋(ふうろう)の如くに見ゆることなく、将来は事実上その本来の意匠たる、昇る朝日の尊き徽章となり、世界に於ける文明諸国の間に伍して前方に且つ上方に動かんとす。

日本の国旗である、白地の中央に描かれた赤い丸は、国を封じる「封蝋」(手紙に封をする蝋のシール)ではなく、「昇る朝日の尊い徽章」であり、「世界における文明諸国の間に伍して、前方に、かつ上方に向かって昇ろうとしているものだ」と締めくくりました。

なぜここで日の丸が唐突に出てくるのか、若干の説明が必要かもしれません。

明治維新で体制が変わった時、まだ日本の国には正式な国旗が制定されていませんでした。つまり、国家としての体裁が整っていなかったということですね。黒船来航いらい、諸外国と通商条約を締結し、行き来をするようになると、国旗の必要性が生まれてきます。
最初に問題になったのは、船舶です。

公海を渡る船は、その船の船籍を示す国旗を掲示することが義務付けられています。そこで、明治政府は明治3年(1870年)、商船規則の制定に際して、白地に赤丸の日の丸を「御国旗」として規定したのです。

しかし、日本の国そのものが古い封建社会の国とみられていたアメリカでは、この赤い丸は人々を封じ込める赤い封蝋と揶揄されていました。伊藤の演説は、こうした揶揄に対する想いを熱く語ったものでした。

このスピーチは、万雷の拍手でたたえられ、翌日の新聞にはこのスピーチへの賛辞があふれていたそうです。

のちに、「日の丸演説」と呼ばれることになるこのスピーチは、後進国と見下していた東洋の小さな国から来た若者が、英語で演説を行ったというアメリカ人にとっての驚きもあったでしょう。しかし改めて読んでみると、それ以上に、新しい国を作ろうという、伊藤の溢れるほどの熱い思いが伝わった名スピーチといえます。

視察団は、このあと一年半以上にわたって欧米諸国を視察していくのですが、この伊藤博文のスピーチ、国を憂う思い、卑屈にならずに堂々と主張する自負心、そして、先見の明……。後に首相になる人物とはいえ、弱冠31歳でこれだけの演説をやってのけるとは、見事というほかありません。

その後の日本は、この話しの通りに歩みました。殖産興業・富国強兵を経て、現在のものづくりの国に通じる出発点を、この伊藤のスピーチの中に見ることができます。

※挿絵脚注
1870年に商戦規則で制定された当時は、縦横比は7対10(現在は1:1.5)、日章は旗の中心から旗竿側に横の長さの100分の1ずれた位置(現在は中央)とされていた。

梶文彦 写真

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。

梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。

写真撮影:谷口弘幸


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