049>115メートルの造船台
浦賀橋梁のもう一つの目玉は、1号レンガドックに1年遅れて明治33(1900)年10月に完成した全長380尺(115メートル)のコンクリート造り造船台だ。造船台とは、斜面上のレールを海の中に引き込み、海水を遮蔽するゲートを・・・
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浦賀橋梁のもう一つの目玉は、1号レンガドックに1年遅れて明治33(1900)年10月に完成した全長380尺(115メートル)のコンクリート造り造船台だ。造船台とは、斜面上のレールを海の中に引き込み、海水を遮蔽するゲートを・・・
浦賀橋梁のもう一つの目玉は、1号レンガドックに1年遅れて明治33(1900)年10月に完成した全長380尺(115メートル)のコンクリート造り造船台だ。造船台とは、斜面上のレールを海の中に引き込み、海水を遮蔽するゲートを・・・
浦賀ドックの広い敷地の中には、長さ150メートルの造船台、148メートルの1号ドライドック、クレーン、ポンプ室、巻き上げ用のウインチ、機関工場などが残されている。 1号ドックは、明治32(1899)年に作られたもので、長・・・
浦賀ドックの広い敷地の中には、長さ150メートルの造船台、148メートルの1号ドライドック、クレーン、ポンプ室、巻き上げ用のウインチ、機関工場などが残されている。 1号ドックは、明治32(1899)年に作られたもので、長・・・
以後、浦賀船渠㈱は、住友重機械工業と社名を変えるが、通称、浦賀ドックとして地元に根を下ろして事業を展開してきた。平成15年に工場は閉鎖してしまったが、数々の駆逐艦や帆船の海王丸、2代目日本丸、さらには石油タンカーなど、1・・・
以後、浦賀船渠㈱は、住友重機械工業と社名を変えるが、通称、浦賀ドックとして地元に根を下ろして事業を展開してきた。平成15年に工場は閉鎖してしまったが、数々の駆逐艦や帆船の海王丸、2代目日本丸、さらには石油タンカーなど、1・・・
そもそもどうして浦賀に2つのレンガドックが作られたのか、いきさつを見てみよう。 浦賀は東京湾への入口に位置する海洋輸送の要衝である。享保5(1720)年には、江戸湾に出入りする船の積み荷を改めるために浦賀に奉行をおき、船・・・
そもそもどうして浦賀に2つのレンガドックが作られたのか、いきさつを見てみよう。 浦賀は東京湾への入口に位置する海洋輸送の要衝である。享保5(1720)年には、江戸湾に出入りする船の積み荷を改めるために浦賀に奉行をおき、船・・・
あまり知られていないが、浦賀には貴重なドックが2つ残されている。一つが浦賀駅前の住友重機械工業のドック、もう一つが浦賀湾口にある川間ドックである。どちらもいまは使われていないが、明治30年頃につくられたもので、 ・オラン・・・
あまり知られていないが、浦賀には貴重なドックが2つ残されている。一つが浦賀駅前の住友重機械工業のドック、もう一つが浦賀湾口にある川間ドックである。どちらもいまは使われていないが、明治30年頃につくられたもので、 ・オラン・・・