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ものづくり 日本の心

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。
発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

「日本のものづくりは、世界の財産である」(53)|第四章 律令時代を支えた計数管理 〜参勤交代のダイヤグラム〜

図版原稿-4.026

生産管理、スケジュール管理の世界でよく使われる手法に、PERT、ダイヤグラムというのがあります。ある製品を作るまでに一〇の作業が必要であった時、どのような順序で行えば最短で完成させられるか、作業を線で結んで、最適な作業経路・スケジュールを見つけ出そうという手法です。実際にプロジェクトのスケジュール管理などに、よく使われる便利な手法でもあります。

これらの手法は、戦後、大きくなったプロジェクト計画を効率的に立てるために米軍やデュポン社などで開発されたものと教えられましたが、実は、こうしたダイヤグラムの手法をすでに1600年代の末に考案し活用していた軍学者がいます。

当時の幕藩体制では、各大名は、一定期間ごとに江戸での勤務(参勤)と領国での勤務(交代)が義務付けられており、大名にとってそのための移動は一大行事でした。

加賀藩のような大藩になると行列に参加する部下の数は2000名を超えます。移動と宿泊の計画づくり、随行武士の食事など、参勤交代は「旅」ではなく「行軍」とされていましたから、道中は合戦の際の移動と同様に自家調理しなければなりません。

なので、事前準備と物資の搬送、通過後の処理などの兵站は困難を極めたそうです。合戦と同様に移動計画を担当したのが軍学者で、いかに費用をかけずに効率的に行うかは、かれらの知恵の絞りどころでした。

当時の宿場の規模は、それほど大きくなく、例えば、一茶の生まれた柏原宿は本陣を除けばほとんど民宿のような兼業農家が23軒で、各宿の座敷数は2~4。全部を借り切って畳一枚に2人を押し込み、廊下に寝かしても4~500名ほどしか泊まれません。

2000人が動く加賀藩では、どの宿場でも一つの宿場で全員が宿泊することは不可能なので、前後の宿場に分宿することになります。当然、野営するケースもありましたので、それが可能な季節を選ばざるを得なかったようです。手配をする細工人(今でいえばツアコンですねえ)と食事を作る料理人は行列に先行し、到着までに準備を整えます。行列のしんがりは、一日遅れて、財務を担当する家老が追いかけ、宿場でかかった費用を精算していきます。

ことは順調に進むとは限りません。天候はおてんとうさま次第。移動の途中で雨が降って川が渡れなくなれば足止めをくい、宿の手配から食事の世話まで予定が変更されます。いまでも総勢2000人の社員旅行といえば、雲をつかむような大変さ。それが天候に左右されて、毎日のように修正が生じるのです。当時のインフラを考えると、その煩雑さは想像するだに、頭がおかしくなりそうです。

加賀藩の参勤交代での金沢~江戸間の移動日数は10泊11日~15泊16日ほどで行われたようです。ルートも、金沢から琵琶湖東を通り、関が原を抜けて中山道へ入る道と、北国街道を糸魚川で南に入り長野を通って追分で中山道に合流するコースがあります。

この間、さまざまな事態が生じますので、つねに臨機応変に街道、支道を選択できるようにしておかなければなりません。そこで、生まれてきたのがダイヤグラムの考え方。

宿場を網の目のように繋いで、状況に合わせて自在にルートを選択できるようなダイヤグラムを作っておけば、どのルートを選択するとよいか、一目瞭然です。そう考えるのは現代の私たちですが、実は、それがすでにつくられていたのです(図)。

2000人が行列に参加する加賀藩では、1日に払う金額が1,000万円ほどもかかったそうですから、いかに日数を短縮できるかも重要な課題でした。江戸に上る最終宿場も、上尾・鴻巣・蕨・大宮・浦和・板橋などが選択可能になっています(『参勤交代道中記』忠田敏男、平凡社)。

参勤交代というと、ものものしい行列ばかりが強調されて伝えられており、裏で行われているこうした臨機応変な対応などまったく表にでてはきません。しかし、全国の藩で、これだけの移動と兵站が、行軍と同様な扱いで繰り返されていたわけですから、さまざまな知恵も生まれたでしょう。

江戸時代というと、とかく柔軟性のない硬直した時代というイメージがありますが、逆に厳しい条件が付けられ、制約されていただけに、それをカバーするためには実務的にはさまざまな工夫が凝らされ、PDCAが回されていたのではないかと思います。

写経生の集中した仕事ぶりと、しっかり写された経典の高度な品質、延喜式に見る緻密な数量規定、そして複雑な兵站を見える化して効率的に処理した江戸時代の軍学者……などなど、そこに現代の私たちのマネジメントにつながるような工夫の一端が垣間見られるような気がします。

梶文彦 写真

梶文彦氏執筆による、コラム「ものづくり 日本の心」です。

梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています。

写真撮影:谷口弘幸


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